ラマンは昨日、ミュンヘンへ発った。
そして、私はホッと一息しつつ近所の友人、可哀想すぎるほど美人なユリア宅へ子供たちと押しかけ、ナストロビヤ!
ロシア語とポーランド語は似ているので、私がよく耳にする単語はロシア語でも同じだったりして、乾杯はナストロビヤ!くしゃみをした後もナストロビヤ!
ユリアもドラマにならない漫画くらいな人生で、つたないドイツ語で一生懸命話してくれる。
私は彼女ともっと話したいと思うから、間違えた文法や口語では使わないような辞書で引いた高尚な単語を他愛ない単語に変換しつつ(辞書によくある。ドイツ文学を解読するのいは良いけれど、日常使いでは誤解されちまったりする。)話す。
ここでふと思った。
私の中でラマンはユリアに勝てない。
私とラマンは時間もそうだけれど、すれ違い過ぎて、誰にだって24時間しか一日は与えられていないから困った。
ラマンのことは愛している。
でも、疲れてしまった感あり・・・
春を通り越して夏がやって来たら、冬に篭っていたことが湧き出して来てしまったの。
君のペースで私は歩けない。
そして、ラマンは
「新しい人生を歩んでね!」
という捨て台詞を残してミュンヘンへ旅立ったわけです。
まぁ、電話は用事があるからマメだし、家族な事にも変わりは無く一応円満にラマンの近所に私たちも引っ越すという事にはなっている。
スープの冷めない距離で、別居家族生活の予定。
ミニゴリラは男児なので、基本的にラマンに属するという形。
でもさ、子供の大変な時期は2歳前後なんだよね。
その時期を母親はぶっちゃけキャリアも全て捨てて、子守すんだよ?!
ハシカとか、様々な病気で幼稚園も行けないなんてよくあるけど、そうなると仕事の責任を果たせないという事になる。
子供の為に頑張って仕事しよう、とすればする程に責任が増すわけで休めない。
それなりに給与を頂いていると、余計に辞職する方向に向いてまうわな。
女の人生はふくよかに計算して欲しい。
履歴書にはない、裏もあんのさ。
それはいいとして。
恋愛と家族と仕事と学業の両立は、とても難しいんだと改めてお勉強しました。
依存のバランスというか、支え合いの比率。
そこで算数が出てくると恋心は木っ端微塵でしょ。
でも、一日はどうしたって24時間しかないしさ。
仕方が無いや。
奇しくも、ラマンは私にとっては旦那や夫ではなくラマンでいて欲しかったわけで。
私の中の定義は、求めても手に入らない心が「ラマン」だった。
だって、彼の造形に惚れたんだもん。
ラマンも私の姿かたちが大好きだった。
うーむ、過去形だな・・・・
正直、私は弱ってます。
でも4児は変わらずパワー全開なの。とほほ。